自己紹介

当ブログの運営者:よしち

どうも、上の画像の眼鏡の男性 よしち です。

ホントはローマ字 yoshithi にしようと思ってたんですが、ドメインの都合上「ヘボン式」ではない「訓令式」の yositi としました。

yositiの生い立ち

私は幼い頃から貧乏生活が長く、40歳を超えた今でも貧乏性?節約心が染み付いています。世の中には私以上の貧乏生活を強いられた人はたくさんいると思いますが、私がどの程度の貧乏かというと・・・。

例えば、私は保育園・幼稚園に行っていません。よしちは4人兄弟の末っ子なんですね。なので、上で何か支障があると、「こんなことなら下の子供は園に行かせる必要はない」ってなるんですよ。まぁ昭和の時代の話ですけどね。なら同世代に園に行かない同級生がいたかと言うと、私が育った練馬区では1人も出会ったことはありませんでした。練馬以外でもないんだけど。昭和だから園に行かない子供がチラホラいたってことではないって話ですよ。

大人になっての今

画像の通り私には子供がいます。もともと子供好きみたいなんだけど、自分の娘って本当に超可愛いんですね。メロメロしちゃう。とろけるよしちの作り方って感じ。

私はライターなので出勤はありません。会社に縛られてないので、3ヶ月弱仕事0%、育児と家事100%で子育てにあたりました。私が食料の買い出しをして、食事も毎日3食私が作り、妻の食事の支度と片付けも基本私がこなすことができました。それに家事だけじゃなく子育てだって頑張りましたよ。

毎日せっせせっせとミルクを作って飲ませ、ササッとオムツを変え、泣いたらたくさん抱っこして、ギャン泣きされながらも妻と一緒に沐浴を済ませ、ちゃんと全身保湿して、耳と鼻も綿棒でキレイにし、おへその臍ヘルニアのケアも慎重に丁寧に、爪切りはメガネを外して(老眼(´・ω・`)キター)そーっと優しく。そうして娘とたくさん触れ合ってきました。

よしちは学校の勉強は壊滅的にだめだったけど、手先は器用だったんです。自分で言っちゃうけど身体能力は高くて、今でも体幹は抜群に優れてる実感があるんですよね。食育さえ重視してればアスリートになれてたんじゃないかな~。自己肯定感高すぎ?でも器用さは子育てにも大いに役立っていると自分では感じてるんです。

私の父は他界していますが、父の良くないと感じた部分は反面教師にしたい。この子はちゃんと園に入れて、幼いその時に大切な脳の成長を促せるよう大事に育てます。

でも残念なことに、訳あって妻と娘と別居生活になってしまった現状があります。今はただただ、穏やかな気持で家族みんなで仲良く一緒に暮らせる日を毎日願っているんです。

小学生のyositi

はっ!私の貧乏エピソードでしたね。・・・そうですね~。例えば、小学生の頃パン屋さんに耳パンを貰いに行っていました。長ーい食パンが入るビニール袋あるじゃないですか。あの袋に、パンの両サイドの大きな耳と、サンドイッチ用に省かれた四本の細い耳をパンパンに詰めて、無料で提供してくれてたんです。

で、パン屋さんに行った時に耳パンが既になければないで終わるじゃないですか。でも我が家はそのパンの耳を貰う常連だったんですね。だからパン屋さんはyositi家用のパンの耳をキープしてくれてたんですよ。だからか、母は「無料で頂くのは忍びない」みたいなのもあったのかな?「いつもありがとうございます、って言ってこれを渡すんだよ」と、私に50円を渡すんです。私はその50円玉を握りしめてパン屋さんに行く。っていうお使いをしていました。

んでさ、たまにパン屋さんが「お使い偉いね」って言って、きっと売れ残りなのかな?メロンパンとかも手渡してくれたりしてたんですね。でもよしち、まだコミュニケーションがうまく取れないちっちゃい子供だったし、優しくされると泣いちゃう子供だったの。だからそんなイレギュラーなことに上手に対処できなくて・・・。涙が出ちゃったりしてました。お礼を言いたくても声も出せない程込み上げててさ、でもパン屋さんにそんなところ見せたくなくて、顔も見せずにペコッとやるのが精一杯だったな。

今これを書いているだけで涙が込み上げてきちゃった。

今もあのパン屋さんやってるのかな。今は練馬を離れちゃったけど、練馬区北町のさ・・・。北町小学校の道沿いのさ・・・。あの日、あの時のパン屋さん。本当にお世話になりました。よしち、あのパンで大人に育ったよ。

小泉純一郎の息子たちみたいに

あ!あと自分の中で普通すぎて忘れてたけど、私の兄弟はみんなお小遣いは全くもらっていません。お年玉をくれるような大人も周りにはいませんでしたね。どおやら父が親戚とかに受け取らない意志を示していたみたいです。「もらったらあげなきゃいけなくなるから」って。

親戚の家に顔を出すことはしてたんですよ。でも行くと「たくさん食べな」って美味しそうなお菓子をたくさん出してくれたりするじゃないですか。そこでも父には「食べるな」ってブレーキをかけられてました。最近知ったけど、小泉元総理の息子たちもそうだったってエピソードを見ましたね。小泉家は貧乏とはかけ離れていると思うけど。お菓子は与えられず、不憫に思った親戚がそっと握らせてきたってエピソードを孝太郎さんが話していましたね。

まぁでも我が家も父は公務員でしっかり稼いでいましたし、生粋の貧乏ではないんですよね。でも「貧乏だから」と言われて貧乏生活をして節約心を培ってきたって感じです。だから小泉家とちょっと似てる。

あと我が家では誕生日やクリスマスにもプレゼントはありませんでしたね。全く何もしなかったわけではないんだけど。スーパーに売ってるヤマザキとかかな?フィルムに包まれたロールケーキあるじゃないですか。あれを家族で6当分に切って皆で食べるという誕生日を過ごしてました。

芸能界の貧乏エピソードみたいに、「草とか虫を食べてた」とかはなかったですけど。時代のせいとかではなく、その時代の一般平均の暮らし以下を強いられたのは確かです。

小学~中学生頃

で、そんな感じがベースの暮らしをしてきた私ですが、超悲観的になることもなく生きてこれたのは、やっぱり友達に恵まれていたってのが救いだと実感してます。

よしちね、tvゲームが大好きだったんですよ。まぁ今でもちょっと始めるとやり込んじゃう感じだから手を付けないんだけど。上手いんですよこれがマジで。格ゲーの大会で何度も優勝した経歴があるんです。時代が時代ならプロゲーマーに本気でなってたかも。まぁここは掘り下げないどいて、ゲームが好きなよしちの周りには、ゲーム好きな友達がたくさんいるわけです。

とはいえ私の家にファミコンはありませんよ。そもそもテレビがありませんからね。

テレビが家に現れたのは私が小5の頃でした。この時はハッピー感じましたね~。話それるから置いといて。

ファミコンないのでいろんな友達の家に行ってはファミコンとかSEGAとか一緒に楽しませてもらってたんですよ。で、色々な友達の所を渡り歩いてたから、持ってないのになんかやけにゲーム上手い。そして裏ワザとか詳しい。みたいになってた。

私の人生において、なぜか有り難いことに 貧乏な私 をハブったりする人はいませんでした。ホントに。何でだろ。助かったわ。

んで、中学時代なんかは次世代ゲーム機の影響もあったりして、メガドライブをくれるっていう友達とか、PCエンジンスーパーCDロムをくれるっていう友達が2人現れて2台貰ったりしたんですよ!これホント衝撃でしたね。「え!?くれるって?ハード機を?」って感じじゃないですか。「ソフトだけあってもしょうがないから」って、ソフトもくれますしね。

もう神ですよね、神。

「持っててももうやらないから」ってさ。お小遣いないんでしょ?可愛そうだからあげるねって言うわけでもなくさ。そういう気持ちだったとしても、私も「施しを受ける程落ちぶれちゃいねぇー!」って卑屈になることなんて全く無く、「超ありがとう」って受け取りますよ。今だに持ってますし。

よしちの貧乏期を支えてくれた大切な友達はたくさんいるけど、中でも私の思春期の人生を楽しく過ごさせてくれた3人の友達は、たとえずっと合わなくても一生忘れません。

貧乏だからこそ楽しめるって感覚もあるはず

で、そんな 貧乏だけど楽しく生きてきた私 は、色んなところにもったいない精神が染み付いてるわけです。貧楽(ひんらく)精神とでも言いましょうか。この貧楽って、色んな意味があるんですが、「貧乏でも楽しく生きる」って感じです。これを私は「びんたの」と表現しています。

貧乏くさくてちょっと人には言いにくい的な「びんたの技」から、「これみんな真似すればお得なのにな」という「知的?びんたの技」まで、このブログ備忘録を通じてお伝えしてみようと思いました。あと、「知ってるから損しない」というお得な情報なんかも伝えたいなと。そうしてできたのが

この・・・

貧楽よしちの楽しくお得な暮らし方備忘録

です。

あなたの暮らしの一部に スポッ とハメ込んでいただければと思います。

あなたの暮らしの隙間に・・・ドオォーーーンじゃなくて、 スポッ って具合に。

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